<タイムライン後編>別居から離婚まで

いちよん生活

タイムラインの後編、最終回です。

  • 私の経験が何方かのフックやヒントになればと思います。
  • 身バレ防止のため要所はぼかしていますが全て事実です。
  • ハードな内容も多いので、苦しくなった方は適宜ご休憩されてください。

前編はこちら、中編はこちらです。

前回のあらすじ

  • 結婚後2児を授かる(長男/長女)
  • 元妻は正社員として就労開始
  • 長男アスペルガー症候群、AD/HD診断を受ける
  • 元妻は職場で上司にパワハラを受けうつ病になり、数か月後に休職、自宅療養へ。
  • 自宅での療養生活、夫との不仲、育児のストレスからストレスケア病棟に入院。
  • 生活態度の悪化、病的な通販・買い物依存
  • 交流範囲の急激な変化(拡大)、他患者との外出、対人距離の異常(近すぎ)
  • 入院中のトラブル:他患者家族との関わり・強制退院寸前となる
  • 頻回の自傷行為:過量服薬、リストカット

別居

  • 妻が子供の前での自傷を試みたことをきっかけに離婚を決意しました。
  • 元妻が2回目の入院からの退院するタイミングで離婚調停の手続きを開始しました。
  • 元妻は私をモラハラ夫として仕立てようとしていました。
  • 荷物の持ち出しには、元妻が懇意にしている男性患者も登場しました。

この頃になると、既に話し合おうにも冷静な会話が成立していませんでした。

元妻の依存・嗜好

  • 買い物依存は止まることはなくどんどんエスカレートしていきました。
  • クレジットカード会社や信販会社から親展郵便が多数届いていました。
  • 通信制大学に1か所入学、数か月で2校目に申し込みしていました。
  • 後先考えない行為や散財に注意すると元妻は自傷を試みました。

いずれも、治療・入院しながら行うことではないと話しましたが、伝わりませんでした。

元妻は自身の希死念慮に加え、私を刺してしまいたいと言っていたようです。

男性患者との邂逅

順番が前後しますが、ある男性患者との関わりについても触れておきます。

  • 元妻は入院中に仲良くなった患者数名と懇意にしていました。(男女数名)
  • 数名の男性患者とは日々に遊びに行っていたようです。
  • 入院中、ある男性患者を連れてきて「今の私の大切な人」と紹介されました。
  • 私はまだ夫だったので、流石におかしいと注意しましたが響きませんでした。
  • 男性患者は、元妻が退院後しばらくの間は同棲していました。
  • この男性患者は元妻との将来に覚悟(結婚)を決めたそうです。

怪文書で知る顛末

  • 子供との生活のために私との復縁を企図した元妻は、男性患者を振りました。
  • 覚悟を決めていた男性は、元妻にどういうつもりかと問い詰めました。
  • 元妻は警察にストーカー被害届を出し、警察は男性に接近禁止令を出しました。
  • 調停開始後1年経過後くらい経過した後、この男性患者から私宛に封書とFacebookメッセージが届きました。
  • レターには、男性患者と元妻との不貞の告白、元妻の異常さと彼女への恨み辛みが便箋7枚に渡って書かれていました。
  • レターには、不貞を告白することで私が元妻と元鞘に戻らないよう警告する内容と、彼自身はこれ以上耐えられないため、元妻を恨みながら自殺することを仄めかす内容でした。
  • 離婚裁判の過程で実際に彼の死が事実だと知りました。

私は自分のメンタルヘルスを維持することに集中しました。

離婚調停

  • 調停に約1年くらいかかりました。
  • 調停は離婚を促すものではなく、復縁を促すものでした。
  • 相手は、嘘ばかり並びたててきました。(モラハラの言い掛かり、子供の養育)
  • 別居中も月1~2回、週末に面会交流を行ってきました。
  • 連れ去りリスクのため、面会交流は子供むけの施設で私の見える範囲で行いました。

この頃になるとワンオペ生活も板についていました。

ただ調停に向けての意見書や弁護士に提出する書類作成に時間が掛かりました。

離婚裁判

  • 別居開始から2年半程度して離婚裁判を起こしました。
  • 本来は5年程度開けて、結婚生活が破綻している証左とする方が良いそうです。
  • 日本の離婚裁判では女性側が有責でも親権は約8割強が女性になるそうです。
  • 男性は圧倒的に不利なので、私はエビデンス、証拠の確保に全力を注ぎました。
  • 私が養育しているという実績と周囲の証明(小学校、保育園)を準備しました。
  • 子供が私の生活維持を望みました。(長男が母親を毛嫌いしていました)
  • 結果的に、裁判所調査官の調査では私に好印象な調査結果になりました。

裁判には実質1年半程度かかりました。

最終的には条件を詰めて調停離婚となりました。
高等裁判所に上訴されても時間が掛かること、早く終わらせたかったので合意しました。
元妻の入院から丸3年かかりましたが、早かった方かもしれません。

本格的なシングルファーザー生活へ

  • フルタイム、ワンオペ、発達障がい育児しながらの離婚調停、裁判は大変でした。
  • 19時~20時頃に帰宅、そこから食事風呂をこなして21:00過ぎに就寝。
  • 毎日21:00過ぎから離婚資料を作成していました。
  • 同じ経験で同じ環境になったとしても同じ行動を取ると思います。
  • 自分がもっと成熟していれば、もっとうまい対応方法があったのかもしれません。

以上、記憶に従ってまとめました。

今後、過去の記録を参照し、間違いがあれば適宜修正します。

このブログでは、それぞれのエピソードでの私の当時の対応、男親が親権を取ることにフォーカスした内容、ND育児(AD/HD、アスペルガー症候群など発達障がい育児)、ひとり親のワンオペ運営などについて記事を書いていきます。

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